靖国合祀
2008-08-15


毎年、終戦記念日になると総理大臣、各大臣の靖国神社参拝の是非が問われます。

政教分離が憲法に明記されていますから、政府要人が職務として参拝するのは?マークが付きますが、個人として参拝し、記帳の際に「内閣総理大臣○○」と書くのは、裁判で合憲という判決が出ています。

これは国内の問題ですから、外国からクームが付く理由は有りません。


ですが、此処に戦争指導者が合祀されているとなると複雑な問題になります。

A級戦犯と書かない理由は、反戦論者の廣田弘毅氏のように、占領軍側の数名の判事から「無罪」と言われた方も含まれるからです。
ご遺族の方も「何故合祀されるのか分かりません」と言われています。


ところで、1971年まではA級戦犯の方は合祀されていませんでした。
巣鴨拘置所(現在の池袋サンシャインシティー)に慰霊碑がありました。

巣鴨拘置所解体に伴い、靖国神社に合祀されました。

この時に、「戦犯」に対する明確な総括が成されれば良かったのですが、曖昧なまま合祀されました。
若輩者の私が言う事では有りませんが、当時の政府の責任でしょう。

その結果が現在に繋がっています。皆が困っています。

私は「死して虜囚の辱めを受けず」と言った、東条英機氏は「日本国民に対し戦犯」と思っていましたが、これも違っていたようです。


「死して虜囚の辱めを受けず」はシナ事変当時の日本軍の綱紀粛正を目的としたもので、
「捕虜になるくらいなら、死ね」ではなかったようです。


当時、中国戦線では戦況が膠着状態に入ったことにより、兵士の士気は落ち、放火、略奪、婦女暴行といった不祥事が度重なるようになっていた。
軍紀建て直しの必要性を感じた陸軍は、「焼くな」「盗むな」「殺すな」の「三戒」を徹底させ、規律ある軍人となるような方法を模索していた。ただ、「犯すな」といった「強姦してはならない」などという表現は、とても勅語に書けないため、勅語ではなく別の形式、すなわち戦陣訓という形で発布することとした。


これが事実だったようです。
残念ながら一部の軍人では有りますが、不祥事を起こした事は父から聞いています。
この人達は「戦犯」です。「戦犯」というより只の「犯罪人」ですが、戦争という背景が有る事も事実です。


「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」
軍紀建て直しの基本に「日本の武士道」を用いたわけです。

ですが、此処にも、解釈の違いが有ります。

「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」は、
葉隠(本の名前)の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と曲解されあるいは解釈されている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決を美化・正当化するのにこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をする者が認められる。
しかし(著者)山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠の中には嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、あくびをしないようにする方法等、現代のビジネス書や礼法マニュアルに近い内容の記述が殆どである。

という評論があるように、武士道で言う死=生命の死では有りません。

従って、「死して虜囚の辱めを受けず」の意味は
「軍人であるからには、死を覚悟して任務を遂行し、結果として捕虜になっても致し方ない事であり、捕虜になった時に恥ずかしい思いをいないよう(普段から)行動する事」

忠臣蔵の「赤穂浪士」が良い例でしょう。

軍隊や戦争を肯定する気は全く有りませんが、この事は、今の私達の日常生活でも言える事でしょう。



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